おくすり手帳は、自分がどのような薬を処方されているのかという、
その履歴を残しておく手帳の事で、病院へ行って処方箋を貰い、
それを持って薬を受け取りに薬局へ行きます。

この時におくすり手帳も薬局で受け取ることができ、
その薬局で受け取ったおくすり手帳には、その日に貰った薬の詳細が書き込まれます。
なので、おくすり手帳があると、自分の病歴やアレルギーの有無を
簡単に医師や薬剤師へ伝える事ができます。

おくすり手帳と安楽死は人気です


一般的に、判断力のある患者は、安楽死を望むと言われていますが、だからと言って、簡単におくすり手帳が中止されるわけではありません。

おくすり手帳をする場合、コストは大きく膨らみ、家族の負担は大変ものになります。
一般的には、本人が自ら医師に訴えれば、安らかに、自発的安楽死を迎えられるのが本筋なのですが、それをおくすり手帳が阻んでいます。
自発的安楽死の場合、医師が患者に致死薬を注射する方法がありますが、おくすり手帳をしている際は、中々、それはできません。
そして、医師が致死薬を患者に渡して、安楽死を促す方法もありますが、これはおくすり手帳をしている限り、到底でき得ません。おくすり手帳と安楽死というのは、まさしく両極にある問題で、この二つは切っても切れない関係にあります。
家族の負担ということを考えると、安楽死という選択も、お互いのために良いものなのかもしれません。
末期がんなどで徐々に意識が混濁している時、おくすり手帳をするのか、安楽死を選ぶかは、本人に任せるのが本来の姿でしょう。
おくすり手帳については、少しでも長く生きていたいとする人にとっては、良いものなのかもしれませんが、そうでない安楽死を望む人には、阻害するものにもなります。

おくすり手帳の価値は、意識もなくていいから生かしてほしいという人にはありますが、そうした人ばかりではありません。
もちろん、安楽死は本人の同意が一番なので、簡単にはいきませんが、同意があれば、おくすり手帳の問題を解消するためにも、容認すべきでしょう。
高齢化社会になった今、多くの人が長生きするようになったので、今はおくすり手帳を望むより、安楽死を望む人の方が多いような気がします。
基本的におくすり手帳は、医師の考えに依存するところが大きく、それは、安楽死が法的に認められていないことも関与しています。
意識がなくてもおくすり手帳を施すのが当たり前になっていますが、果たしてそんな状態で、生き続けて、本人は幸せなのでしょうか。
おくすり手帳を本当に希望する人というのは、実際、どのくらいいるのでしょう。

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