カプリパンツが世界的に人気を集めるようになったのは1900年代半ばです。
母の生まれ育った村で7分丈のパンツと言えば、
カーゴパンツみたいなやつで、農作業やなんかに出る時のスタイルでした。

カプリパンツなんて全くなく、レディースファッションからほど遠かったですね。
最近は、カーゴパンツだってレディースファッションとして支持を集めてます。
カプリパンツは、レディースカジュアルの代表格と考えていいでしょう。

サブリナパンツとも呼ばれるカプリパンツは、
立派なレディースファッション、結構フォーマルなシーンでも着用出来ます。

カプリパンツとはの評判です

カプリパンツの歴史は1913年に創設者のマリオ・プラダがイタリアにオープンした1軒のお店が始まりだというのは、余りにも有名な話ですよね。
やはりビジネスを成功させるためには発想の転換や時代の流れを捕らえる事はとても重要なんですね。
なぜ食品を扱う商社の研修で、一流ブランドのファッションアドバイザーが公演に来るのだろう。
100年近くもの間、ずっとファッションブランド業界の大御所として歩き続けて来たと思っていました。
まさかあのカプリパンツが、倒産の危機を迎えていた時期があっただなんて、ちょっとビックリです。
ミラノの一角に構えた皮製品専門のそのお店の名前はプラダ兄弟商会、その名の通りのファミリー企業だったそうですね。
しかし、その賭けは見事に大当たり、セレブ御用達の超高級ブランドが街を賑わわす身近な存在になったその光景は、まるで時代を反映しているような感じでした。
ただ、かつてのカプリパンツと言えば、セレブのためのブランド、その素材も高級感漂うレザーに限定されていたような部分がありました。
女性のアクティブ化とともに、軽くて丈夫で使い道が豊富なカプリパンツのナイロンバッグは一般女性という新たなファンを獲得する事に成功したのです。
その証拠に、マリオ・プラダも自らの旅行用のカプリパンツにはこのナイロン素材を使用したボストンバッグを使っていたそうですよ。
当然、素材もデザインもこれまでのカプリパンツとは大きく異なりますから、価格も変わって来ます。
けれど、今やそのミュウミュウは、世界中で立派に独り歩きしていますよね。
最初は皮革店といっても殆どカバン屋さんと言った感じだったと聞きました。
最初はとても不思議でしたが、このカプリパンツの歴史には学ぶところが沢山ありました。

カプリパンツの新しい歴史の1ページとなった新素材のカプリパンツを提案し、リリースしたのはマリオの孫娘のミウッチャ・プラダ。
ヨーロッパの上流階級を相手に老舗らしい品質とデザインを売りにビジネスを展開して来たカプリパンツ。
これからはカプリパンツの動きに目を離さないようにするためにも、ブログやサイトでしっかり情報収集しようと思っています。

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