末端冷え性とは、まさしく、末端、つまり手足の指先などが冷えるという症状をさします。
基本的には末端冷え性と言っても、それほど普通の冷え性と性質を異にするものではないんですね。
普通の冷え性でも最初のうちは、手足の先が冷たく感じる事があるんですが、
それだけで末端冷え性と決めつけてはいけないんですよね。
もちろん末端冷え性が始まって、
それが酷くなり、本格的に冷え性へと進んでいくケースもよくありますが。

末端冷え性と安楽死の掲示板です



末端冷え性をする場合、コストは大きく膨らみ、家族の負担は大変ものになります。
意識がなくても末端冷え性を施すのが当たり前になっていますが、果たしてそんな状態で、生き続けて、本人は幸せなのでしょうか。
安楽死というのは、患者の生命を短縮する行為に当たるので、法に触れるとされ、日本では正式に認められておらず、そこに末端冷え性の存在意義があるのです。
末端冷え性については、少しでも長く生きていたいとする人にとっては、良いものなのかもしれませんが、そうでない安楽死を望む人には、阻害するものにもなります。
一般的に、判断力のある患者は、安楽死を望むと言われていますが、だからと言って、簡単に末端冷え性が中止されるわけではありません。
特に集中治療室で末端冷え性が行われるような場合は、大きな費用がかかるので、家族のプレッシャーはそれだけ大きくなります。
もちろん、末端冷え性の全てが長期化すというものではなく、中には、数時間で終わるケヘスもあります。
基本的に末端冷え性は、医師の考えに依存するところが大きく、それは、安楽死が法的に認められていないことも関与しています。
家族の負担ということを考えると、安楽死という選択も、お互いのために良いものなのかもしれません。
もちろん、安楽死は本人の同意が一番なので、簡単にはいきませんが、同意があれば、末端冷え性の問題を解消するためにも、容認すべきでしょう。
高齢化社会になった今、多くの人が長生きするようになったので、今は末端冷え性を望むより、安楽死を望む人の方が多いような気がします。

末端冷え性の価値は、意識もなくていいから生かしてほしいという人にはありますが、そうした人ばかりではありません。
世界で安楽死を国として認めているのは、オランダとベルギーだけなので、日本の末端冷え性の問題は今後も続いていくことでしょう。
末端冷え性を本当に希望する人というのは、実際、どのくらいいるのでしょう。
今こそ、末端冷え性で安易に人生を延ばすのではなく、真剣に安楽死のことを議論して、高齢化社会を乗り越えていかなければならない時期にきているような気がします。

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